ことを言いたかったのであろう。節度を旨とし、秩序ある論理を展開して結論に至れば、それで申し分なく、それも一ツの説である。各人各説というもので、自分はこう思う、ということを適切に表現して読者の批判に供する。新聞の論説は時代の正論をさがし、それに近づくことを旨とすべきものであろうが、正諭の支えとなるものは論者自身の信仰ではなくて、読者の批判なのである。
ところが宮本竹蔵先生の所説に、皆さんが一読してお分りと思うが、その論理には秩序もないし節度もない。甚しく感情的な騒音にみちて慎しみを欠き、まことに教養に乏しくて、裏町の喧嘩のような論理でしかない。
三大新聞にくらべれば東京新聞は部数の上では二流紙であろうが、その第一面の匿名論説たる放射線欄と云い、文芸欄の小原壮助さんと云い、その論理がいかにも粗雑にすぎて、教養を欠き、暗黒街でしか見られない騒音に類して、あまりにも赤新聞的すぎるようだ。
私の書いた物などもこの二ツの欄の先生方に時々大そうお叱りを蒙ったりするが、お叱りを蒙った側から言わせると、まずこの欄の先生方は書かれた物をよく読み正しく理解した上でその論説の不備や至らざるところをお叱り
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