や文脈の品性に於ても全くそれと同等の教養の低い文章である。それを第一面の匿名論説にかかげる新聞の品性というものは三流四流でもなくてゴロツキの赤新聞のようなものだね。東京新聞は、都新聞の昔には娯楽を主とする新聞であったが、その品性は相当に高くて、芸界のもつ教養や気品を失わなかったものでしたよ。そのころは私も匿名批評を書いてナニガシの飲みシロを稼がせてもらったものだが、私に関する限りは匿名批評に於ても、精読を欠いたり、タンカのような悪罵や放言をしたことはありませんでしたね。匿名といえども批評である限りは節度もあれば秩序もある論理をはなれてはならぬものです。
平林さんの追悼文の全文を読めば、宮本竹蔵先生の誤読は判然とし、彼女の抗議が理に合っていることがわかる。つまり平林さんはジャーナリズムの酷使、ということを一応述べてはいる。しかし作家に過度の執筆を強いるジャーナリズムというものも、そのそばによってよくよく見ると、「どんらん飽くなき」という放恣なものであるよりも、出版資本の没落したくない焦躁として目に映る。日本に於ける大新聞以外の出版資本は他の産業にくらべて資本が少いから、無名作家や風変り
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