て反証をあげても、それを無力にする理由となりうる。
しかし泥足の証人がないということは、彼らが泥足であった証明にならないだけのことで、彼らは泥足でなかった、という反対の事実を証明する力はないのである。またタタミの足跡を消したという証拠があれば、足跡があったという反対事実を証しうるが、消したかも知れぬとだけでは、なぜ足跡がないかという証明にならない。ただ要するに、そこに足跡が残らぬ筈だという被告の言葉は一方的でそれを証明する力がないということであり、裁判官の心証が彼らを犯人とみる方に傾いておれば、彼らの反証は無力であると認定せられるであろう。
しかし、泥足の証人がないということは、泥足であったという被告の主張とその証拠の力に於て五分五分に対立しているだけのもので、泥足でなかったという確実な証人がでなければ本当に否定する力にはなり得ないわけだ。裁判官の心証によって、証拠の力が五分五分の一方へ傾くのは当を得たものではないね。しかし、浮浪者や窃盗常習者がヤミ屋を殺したというような極めて有りそうな事件では、被告に不利な心証の傾斜が加わり易いのは裁判官も人間であるからには有りがちなことで、誰し
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