であるからというような心の弛みが無意識のうちに働いたときには、その考察はすべてにカンタンに間に合って、裏の裏まで行き届く鋭さを失いがちだろうと思われます。
そのせいかどうか、それは断定の限りではありませんが、この事件の論証法には犯人の自供の方に主点があり、その他の状況にも疑わしいものがあるけれども、自供に符合する証拠だけをとりあげ、そうでないものは不要なものとして顧みなかったようなところがある。
前掲の事件の概況を記した文章の末尾にちかく、それはこの記事を受けもった新聞社の人の私見かも知れませんが、小林大内両名がなお犯人でないかも知れぬと疑う余地はあったが、一方に、深夜の二時に米を売りに訪問するということは常識では信じられぬ弱点でもあった、と云っております。
しかし、これも、彼ら両名が被害者に売るはずの米は農家から盗んでくる米である。定まる住所のない両名が前もって米を盗むと隠し場所にも窮するから、結局当日盗みだしてきて直ちに処分するのが自然であるが、日中盗むわけにはいかないし、宵のうちもまたこまる。また、同じ村の農家だと足がつき易いと見てか、両名が盗んだのは隣村の農家からで、その
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