、それに目をそむける多くの人々の方がフシギであり、ウソの犯人を論断する危険がないかという不安に苦しむことは案外少なかったのでした。しかし、むろん、他に犯人がありうるかどうか、考え及ぶ限りは考えつくした上で、その怖れがないようだという確信があって、やったことです。殺人事件の犯人をその逮捕前に論証して発表するということは、私のようなガラッ八でもよほどの確信と決意がなければできることではありません。警官や裁判官のように一人の罪を公に断ずるものではないとはいえ、ある息子を両親殺しの犯人と断じて発表してマチガイであった場合には、筆を折る覚悟はいりましょう。可能なあらゆる細部にわたって考察を重ねた上で、彼の容疑をくつがえしうるものがありえない、他の何者も犯人ではありえない、という確信が他のいかなる証拠によっても疑われる余地なく納得できなければ、とてもやれるものではありませんね。
 しかし、伊東の殺人事件の場合には、甚だ多くの手がかりがあって、状況証拠だけでも(物的証拠は当局の正確な発表がないから分りませんが)抜き差しならぬ性質の容疑を証明しておって、そのほとんど全てのものがあげて一人の容疑のみを深
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