、娘が性本来悪を愛する悪質の女だという理由にはならない。踏み切った以上は、どうなろうと男次第というのが普通の女で、要するに踏切らせた親の無智無能がひどすぎたと解すべきである。男の生活に同化するから男次第で荒れもするし、淑《しとや》かにもなるのは自然で、詐欺師と豪奢な生活をし、またぜイタクの反面、ホテルの支払いに苦しんだり、一仕事企んで切りぬけたりしていれば、それ相当の女らしくなるのも当然。捕えられて「お金さえ返せばいいんでしょ」と平然たる有様であったと新聞に報じられているが、右から左へモトデいらずで金が生れる生活に馴れていれば、それぐらいのタンカはきるようになるのが自然である。そんなタンカをきるように生れついてきたワケではなくてかなり多くの平凡な女が、彼女のようなコースを辿る素質があるのだし、同じコースを辿れば同じようなタンカをきるようになるであろう。かえって本当にずるい人間は、そんな時には、神妙にして見せる技術を心得ているもので、それはもう中学生ぐらいからその手腕を発揮するものだ。
「ジミーとはもう別れられないのではないかという気もするのだが」
 と手記を結んでいるところ、とにかく、ウスッペラで、これも低脳な娘にはちがいない。彼女がたのしかったのは、ジミーよりも、彼の手腕による豪奢な生活であったろう。ジミーが捕えられて出所したところで、手に職があるわけではなし、財産があるでなし、詐欺の特技を封じられれば、楽しい生活はできやしない。人間は現在にてらして未来を考えるのは当然であるが、捕えられたジミーが過去同様未来に於ても華やかであるか、それについて当然考えてみるのが普通の智能である。彼女には、その智能もなく、考えてみること少く、甚しくウスッペラだ。左文は保釈で出て、母と一しょに天理教のタイコをたたいてお祈りしている写真を見たが、これは又バカバカしい。いずれ三転、そうでなくなるであろうが、この娘も同じようにバカバカしい。この経験を良い方に生かして再起する実力を蔵しているかどうか、大いに疑しいであろう。たまたま良い男にめぐりあってその男の力で再起する見込みはあるが、自力で再起する素質や実力はないようだ。又、他人に転嫁して踏み切って、そういうことを繰返さなければ幸いである。もっとも、それを繰り返して悔いがないなら、それも結構。不和の良人《おっと》との堪えがたい生活を忍び、ほ
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