あげるということが却々《なかなか》できないもののようだ。いきおい状況判断によって裁判せざるを得なくなる場合が多いようだ。物的証拠があがらなければ無罪放免という公式論を一概にふりまわすわけにはいくまい。
しかし状況判断ということになると、易者や町医者の鑑定ぶりに近づくことになるから、巷談師が気がかりになるのである。
民事裁判の場合などでも、原告被告の人柄とか、判事の私生活との類似とかというようなことから、微妙な傾斜が起りはじめる危険がありそうに思われる。人間である限り、最善をつくしたツモリでも、誤審はさけがたいに相違ない。巷談師は、そういう例を、法律的にではなく、人間的に観察してみたいと考えていたのである。しかし、それは記事を見ただけでは分らない。訊問の現場や法廷に居て逐一見物した上でないとダメであるから、無性者の巷談師には実現不可能であった。三鷹事件などは特に見たかったのだが、あんなにシバシバ法廷がひらかれるのでは、田舎住いの私には、とてもコマメに通勤ができない。だから、本当にやってみたいと思ったことは、永久にやれそうもない運命にある。なぜなら、持って生れた無性者の根性がなおる見込みはないからである。
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巷談師というものは、所詮高座の道化者で、オナグサミに一席弁じているにすぎないのである。天下国家を啓蒙しようというようなコンタンが多少でもあれば、大いにコマメに動きもしようが、そういう考えがミジンもないから、手頃な題材を見つけて、勝手放題な熱をふく。適当な(というのは、面倒なことのいらないという意味もある)題材に窮して、奇妙な探訪などに浮身をやつすようなことを数回つゞけたりしたが、これは毎月必ずやらなければならないというムリも一因している。
私の巷談の材料になりそうで、ならないのは、政治である。なぜかというと、裏があって、それに通じない人間には分らないからである。そこへ行くと、裁判の方は、それほど裏というものがない。たゞ法廷へもちだす前に検事が被告を訊問しているイキサツがハッキリ分らないだけが難点である。こういうものも公開したらどうだろう。
政界、官界、財界などの裏面のカラクリというものは、巷談のタネではなくて、「真相」というバクロ雑誌などの対象だ。現在の日本のようなカラクリの多いところでは、大いにバクロ雑誌があった方がよろしい。「
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