のを見て感じるのは、日本の家庭の暗さということで、婆さん連が浩然の気を養うのを咎めたいような気持は起らなかった。もっとも、ちょッと目をそむけずにはいられない、因果物的ではあった。
もう一つ、巷談に扱いたいと思っていて、できなかったのは、いわゆるアプレゲールなるものの生態である。果してアプレゲールという特殊な新人が誕生しているかどうか、小学、中学、高校、大学、山際的アンチャン連に至るまで、生態をしらべて御披露したいという大志をもっていた。これには先ず学校生活をつぶさに見て廻る必要がある。生徒たちの多くについて個々に知る必要もある。家庭の生活も知る必要がある。大志はいだいていたけれども、調査の面倒は大変だ。
第一、私には子供がない。全然手がかりがないわけであるから、その方が観察に新鮮味をそえる一利はあっても、調査の労力、時間というものが何倍となく要する。学校の教科書だって見る必要があるが、それについてもなんの知識もない。
これを巷談にあつかいたい気持は、今でも多分にあるけれども、課題が大きすぎて、一朝一夕で、まとめる見込みがないのである。簡単にやってやれないことはないが、手をぬきたくない課題である。そのうちポツポツ見聞をひろめ、一通り見聞して後に筆を執るべき性質のものだろう。
私は然し目下のところ、アプレゲールという言葉を好まないのである。そういう新人が現れているとは思っていないからである。山際青年や左文の事件について考えても、むしろ私には、山際にナイフを突きつけられて金を強奪された三人の旦那の方が、戦後派的ではないかと思うのである。
大の男が三人もいる自動車の中へ、ナイフを持って乗りこんで二百万円奪うつもりの山際はトンマな犯人で、どう考えても、未遂に終るのが当然だ。東京のマンナカで二人降し、一人降しして、降された旦那方に捕える処置ができないのもフシギ。まるで捕えて下さいと頼んでいるようなトンマな犯人をまんまと逃しているのである。
すくなくとも、戦争に負けるまでは、こういうノンキな旦那の存在は珍しかったろうと思う。職務に対する責任というものを持っていた筈だからである。
しかし、自分の金ならとにかく、人の金をまもって負傷するのはバカバカしいという考えは、新しいものではない。バカなケガをしたくないのはお互様で、人間の本音は昔からそういうものだ。
けれども、敗
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