を向いてもインネンをつけられる怖れがあるからで、事実ヨタモノはヨボヨボのジイサンなどをひどくイジメて、正直者がとりなしてくるのを待ち構えてもいるのである。
私もここでは五人相手に大乱闘やったことがある。酔っていたから、ずいぶんブン殴られた。なんべんノビたか分らないが、ノビた数だけ突如として起き上ってとびかかって、いつまでも終りがないので、五人の親分というのが留めにきてくれた。翌日鬼瓦のように青黒くはれた顔をしているところへ、中原中也が遊びにきて、手を打って喜び、二三時間ぐらい(つまり彼の酒場へ通う時刻がくるまで)アレコレと腫れた顔の批評をして、帰っていったが、私は怒ることも笑うことも喋ることもできなかった。顔の筋をうごかすことができなかったのである。しかし一つの腫れた無言の顔を相手に、三時間もアレコレと意地の悪い批評の言葉がつづくところはアッパレ詩人というべきであろう。この時以来、私の鼻と口の間の筋が一本吊って、時々グアイがわるい。
当時の蒲田のヨタモノは二種類あって、一つは並のヨタモノであるが、一つは大船へ引越した松竹撮影所が蒲田へ置きすてていった大部屋の残党だ。
私のアパート
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