と八紘一宇が世界を征服するなんて、そんな茶番が実現されては、人間そのものが助からない。私の中の人間が、八紘一宇や国民儀礼の蒙昧、狂信、無礼に対して、憤るのは自然であったろう。
 私の希望がフシギに実現して、軍人と八紘一宇と国民儀礼が日本から消え失せてしまったが、人間が復活、イヤ、誕生してくれるかと思うと、どっこい、そうは問屋が卸さない。
 国民儀礼の代りに赤旗をふってインターナショナルを合唱し、八紘一宇の代りにマルクス・レーニン主義を唱えて、論理の代りに、自己批判という言葉や、然り、賛成、反動、という叫び方だけを覚えてきた学者犬が敵前上陸してきた。
 天皇は人間を宣言したが、一向に人間になりそうもなく、神格天皇を狂信する群集の熱度も増すばかりである。
 どっちへ転んでも再び人間が締め出しを食うよりほかに仕方がないという断崖へ追いつめられそうになってきた。
 米ソの対立とか米ソ戦ということについては、私にはとても見当がつかない。なぜなら、原子バクダンという前代未聞の怪物が介在して、在来の通念をさえぎっているからである。
 けれども、二大国の対立が不発のままで続くことによって、その周辺の小国は、続々内乱化の危険があるようだ。
 コミンフォルムの日本共産党批判はその方向への一歩前進を暗示しているし、それに対して右翼も益々組織され尖鋭化する形勢にあるようだ。
 日本から占領軍が撤退すると、内乱的な対立はたちどころに激化しそうだ。
 私は内乱など好ましいとは思わないが、その犠牲で、未来の希望がもてるなら、まだしも救いはあろう。しかし、左右両翼、どっちの天下になったところで、ファシズムの急坂をころがり落ちて行くだけのことだ。
 狭小な耕地面積と乏しい天然資源、おまけに人口は八千万を越して、避妊薬の流行にもかかわらず、一億を越すに長い年月を要せずという盛大な繁殖率を示している。
 四百年前に渡来したザビエルが、すでに日本人の勤勉さと、国土の貧しさ、食生活の貧しさに驚いているのだ。戦国時代のせいだけではない。徳川時代の農民一揆の場合などでも、武士がゼイタクしていたという例は珍しく、江戸大坂に若干の繁栄があったほかは、国土の貧しさと人口の多さによって、支配階級の武士すらも、もっぱら質実剛健を旨とせざるを得なかったのである。
 台湾、朝鮮、カラフトと明治以後の日本は領地をかせぎ、大軍備
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