安吾巷談
野坂中尉と中西伍長
坂口安吾

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)八紘一宇《はっこういちう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)自己批判[#「自己批判」に傍点]
−−

 一人の部隊長があって、作戦を立て、号令をかけていた。ところが、この部隊長は、小隊長、中尉ぐらいのところで、これが日本共産党というものであった。その上にコミンフォルムという大部隊長がいて、中尉の作戦を批判して叱りつけたから、中尉は驚いて、ちょっと弁解しかけてみたが、三日もたつと全面的に降参して、大部隊長にあやまってしまったのである。
 これは新日本イソップ物語というようなものの一節には適している。この教訓としては小隊長の上には大隊長がいるし、その又上に何隊長がいるか分らん。軍人生活は味気ないものだ、という感傷的な受けとり方もあるだろうし、ライオンだって鉄砲に射たれるぞ、という素朴な受けとり方もあろう。各人各様、いろいろと教訓のある中で、教訓をうけつけないのが、当事者、つまり日本共産党だけ。これはイソップ物語というものの暗示する悲しい宿命だ。
 私はあらゆる思想を弾圧すべからず、と考えていた。現に、そう考えているのである。無政府主義だろうと、共産主義だろうと、自由に流行させるにかぎる。なぜなら、それを選び、批判し、審判するのは、国民の自由だからである。
 ところが、現在の日本共産党は、そういうわけにいかない。
 徳田中尉、野坂中尉という指導者が上にあって、だいぶ下の下になるが、除名された中西伍長という参議院議員など、さらに末端の兵卒に至るまで順序よく配列されているわけだ。
 中西伍長が綿々と述べたてるところによると(週刊朝日一月二十九日号)党中央というものを党員が批判することができない。批判すると、反動だということになる。たまたま中西伍長が独自の見解をのべて、それを党中央のオエラ方に批判してもらおうと思ったら、徳田中尉はカンカン怒って、伍長が二三分喋り得たのに対し、中尉は二三十分喋りまくって吹きとばしてしまったそうだ。又、野坂中尉は白い目をギラリと光らせて一睨みくれただけであったが、それは、若造め、生意気云うな、という意味らしかった由である。
 中西伍長の独自の見解は、オエラ方にきいてもらえないばかりでなく、アカハタも前衛も彼の論文をボ
次へ
全12ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング