イコットして載せなくなったので、やむをえず党外の雑誌へ発表すると、反動通信網とケッタクした、というレッテルをはられてしまった。
以上は中西伍長の一方的な打明け話であるから、そのまま信用するわけにはいかない。
けれども、党中央というものを党員が批判することができないことは、中西伍長の打明け話をきかなくともハッキリしている。かりに批判ができたにしても、そんな批判が何のタシにもならないことがハッキリしているのである。
なぜなら、本当に党中央を批判し審判しうるのはコミンフォルムだからだ。もしくは、その又奥の大元帥だけだからだ。
日本共産党がどんなに巧妙な言辞を弄して、自分はコミンフォルムに隷属しているワケではないなどと国民を説得しようと計画したところで、どうにもならない。
一喝にあうや、負け犬のように尻ッポを垂れて、降参したではないか。下部の批判に白い目をむく者のみのもつ上部に対する弱さ、無力をバクロしているだけだ。自己主張はどこにもない。そして言い方が面白い。自己批判した結果、コミンフォルムの批判が正しいことを知った、とくる。すでに自己批判の上、清算していた、とくる。
結局、日本共産党というものは、コミンフォルムの批判をうけると、ただちに自己批判して、降参せざるを得ないのである。独自の見解を主張すれば、彼らが中西伍長を除名したように、今度は自分がコミンフォルムから除名されるだけのことだ。あげくの果は、武力侵略の好餌となるだけだ。
日本共産党は、民族独立とか、植民地化を防げ、などゝ唄っているが、コミンフォルムの一喝にシッポを垂れるものに、民族独立があるものではない。彼らの性格はハッキリしている。コミンフォルムの植民地だ。
この植民地には自主がない。国民は選ぶことも、批判することも、審判することもできないのである。党中央に対してコミンフォルムの批判と命令が絶対であるように、国民は党中央にたゞ服従する以外には手段がない。
共産党はマルクス・レーニン主義が絶対であり、他の主義思想を許さない。現に日本共産党はその議会主義的な傾向を批判され、シッポを垂れているのだ。
国民が自分の思想を自由に選び、政党を批判し、審判することを許さぬような暴力的な主義というものは、自由人と共存しうるものではない。我々の軍部がそうであったように、彼らもファッシズムであり、配給はあるが、
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