の大を誇るということは難中の難事である。それに雪国というものは、どっちを見まわしても物のすべてがうら悲しく小さく見えて仕方のないものだ。秋田城主佐竹侯が何十万石の大々名だか知らないが、その城下町やお濠や城跡をどう見廻しても大名の大の字の片影すらも見ることができない。山々も田も畑もどことなくうら悲しいし、秋田市から大館まで三時間の汽車の旅に、どの駅もどの駅も、材木の山、杉丸太の山々である。よくまア材木があるものだナ、と思うけれども、それとてもムヤミに材木が存在し目につくだけの話で、別に大というものがその材木の山々のどこかに存在しているワケではないのである。大きな材木がないせいではなく、所詮材木の山などゝいうものは、細い一本の鉄にも如《し》かないという実質上の劣勢が、この戦争によってもイヤというほど身にしみているではないか。原子バクダンの時世に、焼夷弾ごときチンピラのチョロ/\した攻撃に一となめという哀れさだもの、秋田平野の全体に材木の山を積み重ねヒマラヤ山脈の高さに積んで見せたって、「大」の存在するイワレはない。雪国の風物は悲しいものだ。
ところが、さて、大館へつき、平泉二世の案内で秋
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