った。
 欧米では、保守党たると進歩党たるとを問わず、国民の生活水準を高める、ということは政治家の当り前の役割である。他の政策はちがっても、これだけはあらゆる政党に共通した義務の如きものである。ヒットラーでも、労働者に鉄筋コンクリートの住宅を、自家用車を、と叫んだものだ。
 ところが日本の政治家や政党は、この戦争に負けるまで、国民の生活水準を高める、という政策をかかげたことすらもない。労働者のための政党までそうで、働くことだけが正しくて、否、貧乏の方が正しくて、生活に娯楽をとりいれたり、楽しむことに金を費したりすることは悪いこと、ブルジョア的な誤った考えだというタテマエであった。
 戦争中なら国民に耐乏生活をもとめることも仕方がないが、平和な時代にも耐乏生活を正しいものと考え、生活をたのしんだり娯楽に金を使うのをムダ使いであり悪いことだと考えるような政治家は完璧に政治家の第一番目の落第生にきまったものだが、明治に政党の起って以来、保守党も進歩党も耐乏生活を要求したり謳歌したりするばかりで、国民の生活水準を高めることなど、念頭にとどめたことがなかったのである。
 戦争に負けた今日に至って
前へ 次へ
全40ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング