ワラぶきを軽いコッパぶきにすることによって積雪時の屋根の重量を軽減し、またクギの代りに重石をのせて雨モリを防ぐことを工夫した、という次第ではないかと考えられる。
 とにかく飛騨の農家というものは、コッパぶきと重石だけは同じだけれども、独特の工夫もあるし、大きくもある。耕作面積が猫の額ほどしかない山国の飛騨の農家がはるかに立派で、日本有数の米どころたる新潟や秋田の農家が他国の農家の馬小屋の如くに貧困極まるものだというのはウソのような話だ。小作制度というものが論外の悪制度であったのが第一の理由には相違ないが、新潟や秋田の積雪の甚しさも論外なのだろう。冷害や水害や、辛うじて一毛作しかできないという風土の貧しさや暗さは、雪国の農民住宅にも、町の庶民住宅にも生々しく現れすぎている。建築の骸骨のようなものである。昔から骸骨のような家にしか住むことのできない雪国の庶民であった。
 焼け残った都市が焼跡のバラック都市よりも汚く暗く侘びしいということは、銘記して我らの再建作業の課題とすべき重大事ではありますまいか。私は秋田市の裏通りを歩きながら、日本の暗さ悲しさにウンザリせざるを得ませんでした。保守党だ
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