も、そして秋田の街も、そうである。戦災をうけないための汚らしさ――それは異様な、しかし、うごかすべからざる事実ですよ。この異様な事実に目をうたれるとき、胸につきあげてくるのは日本庶民生活の悲しさです。
 日本の木造建築にも、ピンからキリまである。法隆寺や平等院から雪国の小作農家に至るまで。だが、庶民住宅というものは、百年前から今日に残ったものでも、ほぼ今日のバラックと変りのあるものではない。焼跡のにわか造りのバラック都市ですらも、それが新しいために、そして道路がひろげられて明るいだけでも、焼けない都市の昔ながらの汚らしさがないのである。要するに古来の日本庶民の住宅というものは、いかに資材が豊富なときでも、バラックの域をでることができなかった。たとえば昔の大工や左官が手をぬかなかったために、百年百五十年の耐久力があるにしても、それは、単に耐久力というだけで、庶民生活の豊かさを住宅自体が表しているような豪華なものはどこにもない。
 武家屋敷ですらも、中位以下のものになれば、古びて残った哀れさ汚さは、新築のバラックに劣ること万々である。
 戦争で焼けたバラック都市を見るよりも、焼かれずに残っ
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