る。しかし歴史のことは当分ふれないことにしていた。ハリマと四国も大切な土地で、先月はハリマへ行ったが、この時もわざと歴史のことは考えなかった。特に結論を急ぐことは害があるものだ。
秋田犬とオバコという現代の神話的存在をマンゼンと鑑賞して御報告いたそうという、今回は実にノンビリした旅行であった。
上野駅というものが、すでに雰囲気がちがっている。見送人の数が大変である。みんな親類縁者であろう。東海道線では見られない風景である。秋田行の箱にのると、すでに車内の言葉が一変しているのである。ここは一体どこか? すでに東京でないことだけはたしかである。
東京駅にこのような風景が見られないのは、東京駅にはフルサトが失われているのか、距離が失われているのか。私のような風来坊にも切ないのは、よけいな悲しい時間である。駅頭の別離も、上野駅で発車前の車中にすでに誰かのフルサトがあることも、私には切ない。人の別離を見ても、人のフルサトを見ても、切ないものです。ビジネス・オンリーの私の旅行も、まず出発からタジタジであった。
「どうも、この上野駅の風物が、日本犬的なところがあるぞ、さては、秋田犬も……」
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