た行在所で、つまりその地点で天皇が大友皇子の首実検をしたところだ。そこもヒダ人の聖地中の聖地であった筈であります。ヒダ楽は分りますが、新羅楽の方は大和朝廷側の音楽なのかも知れませんな。両者の霊なる楽の音で死せるミコを慰めたのでしょうか。
 まもなく諸国に国分二寺を建てさせたが、ヒダにも建てた。このころから、どうやら税も命令するようになった。ヒダだけ按察使の支配に属していたのが、どうやら他国なみに国守を送るようになったのは称徳天皇の時からです。
 しかし、ヒダの統治はなかなか思うようにいかなかったようです。ヒダと出羽に風が吹いた、とか、ヒダに慶雲が現れた、とか、一喜一憂で、(気象台にきかなくたってヒダと出羽にだけ大風が吹くのは妙でしょうが)ヒダの国分寺がたちまち焼けたのも、焼かれたのかも知れませんナ。空海も巡錫したが、そう効果もなかったようです。
 私の見解では空海の弟子の真如がヒダへ行って千光寺をつくった。この時から次第に好転して、ヒダがだんだん他国と同じような領国になったように思います。
 真如は廃太子|高岳《たかおか》親王の僧名です。親王は嵯峨帝の皇太子だが、その先帝平城の御子です
前へ 次へ
全58ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング