はないでしょうか。
 そして次の元正女帝に至って、ミノの行宮へ行ってタド山の美泉をのんで、あんまり霊験イヤチコだからと、年号を変えて大赦を行っているのです。
 なるほど、書紀に表現された日本武尊の伝によると、近江ざかいにちかくて伊吹山にもちかいタドの美泉が死なんとする日本武尊を一度正気に返した清水だということになります。
 しかし実際に日本武尊、否、大友皇子、否、天武天皇との戦に敗走したさる高貴な人が美泉をのんでいったん死をまぬかれた聖泉というのは、前述の如くに書紀の記述が両面神話の要領によりアベコベであって信用できないとすると、書紀の示す美泉は正しいタドの美泉ではないことになる。スクナ伝説ならば藍見の喪山の近所にあるべき泉であろうし、ワサミを下原村あたりとするなら、下呂に当るかも知れん。二ツのどちらか、それは見当がつきかねますが、とにかく書紀の示す美泉がタドの美泉でないことは確かだ。しかし、自分の御手製の史書ではそれがタドの美泉に当るから、それは自分の言ってることに従うべきで、さもなければ自分のウソを広告するようなものだ。そこで、タドの美泉は霊験イヤチコで、改元し、大赦を行うに価いす
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