リをめぐらしてまで、まるめこむ必要があったように思うのです。行心という名の方は普通ですが、伊豆へ流された「トキの道作《ミチツク》り」という氏名は、彼の秘密の役割をチャンと語っているではありませんか。
持統天皇即位前記の条に「この年蛇と犬と交ってニワカにともに死んだ」とありますが、これはヒダとシナノが反乱したことを表していると思います。日本武尊は信濃では犬に助けられてその兄大碓はヒダで蛇で死んでますが、だいたいシナノは犬養だのカラ犬だのと犬に縁が多いところで、ヒダはヘビに縁が多いところです。
次の文武、元明両帝は各々信濃坂が険しいからと、ミノ木曾間の道をひらいております。つまり今までのヒダ、シナノ間の道が危険で通れなくなったからでしょう。そして、これによって知りうる他の一ツは、平地の道や川の舟行よりもアルプス越えの道の方が早くできていた、という一事で、ヒダは馬の国だと云われ、ヒダの騨の字はそのせいで後日改められたと云われるぐらいですが、書紀にもスクナの早業[#「早業」に傍点]という特徴が書き加えられていた如くに、彼らヒダ人はこのアルプスの難路を馬にのって風のように走りまわっていたので
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