す。それは恐らくヒダの史実があまり重大のせいではないためでしょうか。
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古代史家が隠しても隠しきれなかったのは何かというと、まず第一に古代の交通路です。たとえば日本武尊《やまとたけるのみこと》の東征の交通路などを見ると分りますが、上野《こうずけ》ノ国からウスイ峠をこえて信濃へはいってヒダへ出たのは木曾御岳と乗鞍の中間の野麦峠のようだ。この峠のヒダ側は小坂《オサカ》の町です。
推古三十五年(西暦六二七年)に群蠅が十丈ばかりのタマとなり雷鳴のような音をたてて信濃坂をこえ東方上野の国へ行って散ったとある。さきの日本武尊の路を逆に行ったものでしょう。その前年に蘇我馬子が死んでいます。その結果として大争乱が帝都に起って、クーデタの結果としてある氏族の大群が東国へ逃れる事情が起ったのだろうと思います。この族類がこの路に沿うて古くから移動往来していたことは古代史上からも遺跡からも見ることができます。
それから三十余年後の斉明天皇六年(西暦六六〇年)に、こんどは逆に、信濃の東方から西方へ向って群蠅が巨坂《オオサカ》を飛びこえたとある。群蠅が帝都を逃げて田舎に散り隠れる理
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