その気風がやや科学的になると昔の郷土史家、愛郷的考証家というものになって、古代史の似た部分だけをとりいれてみんな自国の伝説と結びつけてしまう。だから、九州から奥州の果まで至るところにタカマガ原だの天の岩戸だの天孫降臨の地があるばかりか、特にその土地の名が古代史にも現れて土地の国ツ神と天ツ神の交渉が若干国撰の神話に残っていると、それに尾ヒレをつけて伝説をつくり、郷土の地名などにムリムタイにコジつけてあの神話もこの神話もとりいれる。時にはあんまりツジツマが合いすぎて、却って恐縮せざるを得ぬほどピッタリとヌキサシならぬ一致を示していることもある。何千年前の神話がそうピッタリするのも困るものだ。
ところがヒダに至っては古代史上に重大な記事が一ツもない。だから古代史や神話と表向きツジツマの合うところは一ツもないのです。そのくせ、古代史家がヒダの史実を巧妙に隠そうとして隠し得なかったシッポらしきものを発見しうるし、その隠された何かをめぐってヒダとスワに特別なそして重大な関心が払われ、その結果として古代史上にヒダに関する重大な記事が一ツもない、そういう結果が現れたのではないかと疑うことができるので
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