去に於てそうであったように、噴火といえば黒煙天に冲《ちゅう》するものだと思っていましたね。十何年か前にドイツのファンク博士というカメラマン兼映画カントクが来朝して、日本側では早川雪洲、原節子主演の「新しき土」とやらいう日独テイケイ映画をつくった。そのとき浅間山のバクハツ瞬間を撮そうというのでカメラをすえつけ、何人かの日本人の映写技師が何ヶ月もバクハツを待ってカメラにすがりついていたそうで、バクハツの瞬間にスイッチのボタン一ツ押すために大の男が何ヶ月もポカンと暮しているとは有為の男子に対する大侮辱デアル、と大そう怒っていましたね。なるほど定九郎のイノシシや仁木弾正のネズミよりもダラシがないような職業的劣等感にハンモンしたかも知れんな。第一キリがねえや。しかしキリがなくって、いつの日がバクハツだかワケが分らんところに役の意味があるのだが、日本では珍しくもないたかが浅間山のバクハツにすぎないのだし、命じるのは外国人のそう手腕卓抜とも思われぬ同業者にすぎないではないか。日本の男の子の面目まるつぶれというモンモンたる心事になやんだのはムリがない。自発的な仕事でないと、こういうバカなことはやれません。クラカトアのバクハツを数年がかりで待ちかまえて、ついに七年目とかにバクハツ瞬間をカメラにキャッチした大人物もいたそうではありませんか。
とにかく、おかげ様で浅間山のバクハツ瞬間というものを我々も見物させていただいたわけです。あれも黒煙天に冲しましたね。浅間山のバクハツはまさに黒煙天に冲するという性質のものだそうです。
ところが、三原山はそうではないそうです。火山弾を打ちあげるだけで、ほとんど黒煙をともなわない。熔岩に粘性が少いと噴煙がないのだそうで、富士山などもそういう性質の山だそうだ。しかし黒煙モウモウたるときもあるが、それは火口内の壁がくずれた時に煙がでるのではないかと一応見られているのだそうだ。
富士山の宝永四年(西暦一七〇七年)十一月二十三日のバクハツの記録によると、前日の夕刻から地震五十回あまり、当日は算えるべからず、午前十時天からまるい光団がふるとともに黒煙空にみなぎって鳴動し、午後八時に火焔もえ、火の玉天に冲す。なるほど、三原山式ですね。その後十日ほどにわたって黒煙山をおおいつつあるかと思うと、時に火の玉をふきあげ、火焔もえたち、またもや黒煙が、一面をおおうとい
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