こう言うのだから面白い。まさしくその通りであった。沙漠をうめつくした熔岩の原野を見るとウンザリするね。言語道断な自然の暴力にウンザリするのです。原子バクダンで颱風《たいふう》の進路を変えるなどというのはまだまだ夢物語だそうで、颱風のエネルギーにくらべると、長崎でバクハツした原子バクダンのエネルギーなどはその何千分の一という赤ん坊のようなものだそうだ。そういう自然の威力と人間の小さゝは三原山の熔岩を見ると身にしみますよ。ただ、そこには原子バクダンが人間に与える実害のような地獄絵図はない。ただガッカリするほど雄大です。まったく見なければ分りません。
 この前に三原山が海岸まで押し流した熔岩は天和四年から元禄三年の七年間にわたる噴出によるのだそうで、二百六十年ほど昔のことだ。安永三年(西暦一七七四年)に今まで沙漠の中に、内輪山よりに残っていた熔岩をだしたのだそうだ。
 すると、安永以前から沙漠があって、安永の噴火には沙漠のちょッと一部分に、熔岩が流れでた程度であったが、今度のはそっくり沙漠を覆い尚《なお》流出の勢いであり、元禄以来二百六十年ぶりという大爆発らしいや。今のところ、泉津《センヅ》側と波浮《ハブ》側に沙漠が残っているが、これ以上熔岩がたまると、映画屋が沙漠のロケーションに音をあげてしまう。もっとも、鳥取県の海岸に相当の砂丘や砂原があるそうだ。
 この熔岩が風化して再び沙漠になるには百年か二百年もかかるのだろうか。とにかく三原山といえば沙漠が名物であったが、その沙漠が一九五一年に失われて、熔岩原となった。そして今後は熔岩原が三原山の新名物となって、再び沙漠が名物になるには百年もかかるとすると、これは一ツの歴史的な爆発に相違ない。三宅島も地熱が高くなって水がかれ、木がかれはじめたので、噴火が起るのじゃないかと調査団が今朝現地へ到着したと新聞が報じている。
 前回、大島が噴火した安永年間にも、三宅島、八丈、青ガ島が相ついで噴火し、特に青ガ島は再度にわたってサンタンたるものであったらしい。三原山が活動をはじめた、鳴動した、黒煙をふいた、という話は、関東大地震の後だけでも何べんあったか知れないね。黒煙をモクモクとふきだしている写真が何度も新聞に現れて人気をよび、私も見物にでかけたものだ。ところが、今から思えば、あんなのは噴火の卵にも当らんようなものだね。
 新聞の写真が過
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