応仁の乱に、山名宗全は西陣南帝を擁して北朝の天子をいただく細川方と戦ったが、西陣南帝は乱後に奥州へ落ち、標葉郡沢之邑というところに住んだそうだ。その後裔が熊沢天皇デアル、という。これ即ち熊沢天皇家に伝る系図だそうだね。系図は本当らしいね。しかし彼は天皇ではないさ。南朝の血をひく名古屋の雑貨商、熊沢寛道氏であろう。藤原一族は云うまでもなく、大和の農民にも、クマソ土グモの子孫の中にも天皇の血をひく者は珍しいことではなかろうさ。
日本の相続の習慣は(習慣だろうな。昔は制度や法律ではなかったろう)古代に於ては家長が自分の好きな子供に与える。これを選定相続というのかね。しかし、長兄に与えるのが自然だという不文律が感情的に存在していたのかも知れない。応神天皇は二人の子供をよんで、お前らはお前たちの子供の場合に兄の方が可愛いいか、弟の方が可愛いいか、ときいた。というのは三人目の末弟に皇位を譲りたい下心があったからだそうだ。長兄は兄の方が可愛いいと答えたが、次兄は天皇の心を察して弟の方が可愛いいと答えた。天皇はよろこんで、次兄の言葉は正しい。一番下の子が可愛いいものだ。だからお前らには皇位をゆずら
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