ダイゴ天皇の御製に、枕の下に水くぐる音、とあるが、なるほど吉水院の門前の家には竹のトヨで山腹から清水をひいてチョロ/\流れているのを現に用いているけれども、その清水の溜り水が深く濁りよどんで臭気があるほど流れている水量はチョロ/\にすぎない。吉野の宿屋はこの吉水院と同じように深い谷の上に一列に並んでいるが深夜になっても私の枕の下は水の音がくぐらなかったね。恐らく雨がふれば、眼下の谷に水流の音がトウトウと鳴るのであろうが、お天気の日は枕の下はほとんど水音はないね。実に高い谷なんだ。私の泊ったサクラ花壇という妙テコリンな名の旅館の座敷から見ると、はるか眼下にトンビやカラスが舞いまわり木の枝にとまっている。実にはるか眼下の木の枝にです。トウトウと谷が流れて然るべきだが、吉野山なるものは殆ど水がないのである。
だから、吉野に於ては、むかし、むかし、井戸があるとすれば、実に最高の宝であったに相違ない。吉野の親分が井戸の中から這って現れたというのは当然の話ですよ。東京の親分は省線の駅を縄張りにマーケットをつくるが、吉野の大昔の親分はたった一ツの井戸を縄張りにマーケットを造ったにきまっていや。高い
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