王帝説」は、昔、写本を写真に撮したのも見たことがあったし、写本の一種も見たことはあったが、今は私の手もとには群書類従もない。岩波文庫本が一冊あるだけだ。ほかの本のことは知らないが、岩波本は相慶之という坊さんが写した本だね。二条、六条天皇のころ、平安末期の法隆寺の大法師だそうだね。
この本に、ごく稀に、二字三字ずつ欠字があるのは、なぜでしょうね。虫くいの跡ではないね。虫くいにしては数が少なすぎるし、欠字の形が縦横に不自然でなければならない筈だ。この欠字はいつもタテであるし、前後がハッキリしていて、ある単語や、ある意味をなす一句の全部がチョッキリ欠字になっていることを示しているのである。虫がそんなにチョッキリと食う筈はないね。
つまりこの欠字は人から人へ写本されつつあるうち、誰かが故意に欠字にしたものだ。しかも甚しく曰くありげなところに限って欠字になっているのである。相慶之の写本以外の異本があるなら、見たいな。同じところが欠字になっているかしら。曰くありげとは、天皇の名とか、ミササギの場所とか、そういう事が記載されているらしい所に限って欠字になっているのさ。
まず、先にあげた山背大兄
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