冷めたく清潔で美しいや。それが事実というものの本体が放つ光なんだ。書紀にはそういう清潔な、本体的な光はないね。なぜこんなに慌しいのだろうね。テンカン的でヒステリイ的なワケはなんだろう。それは事実をマンチャクしているということさ。
とにかく、重大なことが起ったのさ。ところがですね。その重大なこととは、蝦夷という大臣とその子の入鹿が殺されただけのことではないか。蝦夷と入鹿は自分を天皇になぞらえて、宮城やミササギをつくッていたそうだが、それにしでもだね、大臣が殺されたなんてことは、その前後にフンダンにありますね。天皇も皇太子も殺されているね。王子もそれから天皇位を狙う重臣も、いろいろと品数多く、蝦夷入鹿の父子よりもよッぽど高貴の筈の人たちが実にムザンに実に大量に殺されたり殺したりしているではありませんか。より以上に重大な殺人事件がタクサンあるのに、ヒステリイ的で、テンカン的で、妖しい狂躁にみちているのは、この事件の場合だけですね。実に事の起る六七年以前から、記事はすべて天変地異、妖しい前兆、フシギな謡の数々だ。ただごとではありません。そこに重大な理由がなければならないことだ。
「上宮聖徳法
前へ
次へ
全34ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング