は、後にタンテイの結果をのべます。
「□□□天皇御世乙巳年六月十一日、近江天皇、林太郎□□ヲ殺シ、明日ヲ以テ其ノ父豊浦大臣子孫等皆之ヲ滅ス」
 アッサリしたものです。近江天皇は天智天皇のこと。□□□及び□□という二ヶ所の欠字については、これまた後にタンテイの次第を申上げます。
 この件りのあたりを書紀がどのように書いているか、欽明天皇の終りごろから読んでごらんなさい。ヒステリイだかテンカンだか知らないが、ほとんど血相変えて、実に慌しく発作を起しているのです。入鹿蝦夷が殺される皇極天皇の四年間だけでなく、その前代の欽明天皇の後期ごろから、何千語あるのか何方語あるのか知らないが、夥しく言葉を費して、なんとまア狂躁にみちた言々句々を重ねているのでしょうね。文士の私がとても自分の力では思いつくことができないような、いろんな雑多な天変地異、妖しげな前兆の数々、悪魔的な予言の匂う謡の数々、血の匂いかね。薄笑いの翳かね。すべてそれらはヒステリイ的、テンカン的だね。それらの文字にハッキリ血なまぐさい病気が、発作が、でているようだ。なんというめざましい対照だろう。法王帝説の無感情な事実の記述は静かだね。
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