神意か人意かという水カケ論になって、論より証拠、自分で担いでみなさい、ということになった。きわめて然るべき結論だね。そこで検事と判事が十六人ハチマキをしめて現れて、これを担いだというのだね。
するとネ。そのミコシが検事と判事に担がれてヒューと一気に表参道の急坂を駈け降りたとさ。アレヨと見るまに、後向きでヒューと上まで駈け登ったとさ。それから市街へとびこんでメッチャクチャ暴れたとさ。
裁判所へ行って記録を調べたわけではないから、ホントかウソか請合いませんよ。しかし、むろん、伝説だろうねえ。伝説中の新型だね。判事と検事が登場してハチマキしめてミコシを担いで暴れるという創作はわれら文士以上の手腕ありと認定せざるを得ない。
こういうたのしい話をきかせてくれる市役所だけあって、この市役所の建物が、オモチャのように滑稽古風で、シルクハットで中へはいって行きたいような気持にさせられる。横浜や神戸の洋物の骨董屋の店内へ、むろん店内へははいらないけど、並べておきたいような市役所でした。むかし、むかし、大昔、宮城県庁だった建物だとさ。その古物をタダで貰ってきたのだとさ。
塩竈は松島遊覧の出発点だ。あいにく冬期は観光船が欠航中であったが、一艘だしてもらう。海上はひどい寒風で、泣かされたね。内海の遊覧コースを通らずに、馬放島の外側を通る。なるほど外海の松島は相当豪快だ。しかしいつまでたっても似たような島々を眺めて通るというだけでは一向になんのこともないものだ。
私はむしろ松島湾内の海が、ノリやタネガキの養殖に利用されているのを見たのが嬉しかったのである。案内の人は、どうもノリシビが広くなりすぎて、と恐縮そうなことを云ったが、とんでもないことです。馬放島や桂島の海水浴の適地をのぞいて、至るところノリとタネガキの養殖に用いて可なりですよ。だいたい松島めぐりというのは、どんなに方々見て廻ってもみんな同じ風光だ。松島そのものの風光は代表的な一ツ二ツでタクサンだね。むしろ恵まれた湾内の大部分を資源に利用する方が、松島めぐりの観光にも変化がつこうというものだ。いつまでも「ああ松島や松島や」ではありませんや。東海道の海では大謀網というものを仕掛けて魚をとるが、松島の海では、それに似てはいるが、もっと手のこんだ八幡のヤブ知らずのようなものを海中に仕掛け、魚の周游性を利用してイケスの中へ誘いこむ方
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