法を用いていた。大謀網にくらべると、外見では仕掛の手がこんでいるように見えたが、小魚専門の女性的なもののようだ。大謀網の方は一度に何万匹というブリを一とまとめに追いこんだり、大きなマグロ、マンボウ、なんでも、はいってくる奴をそッくりつかまえるという豪快なものだ。松島のは可愛いいイケスのようなところへ小魚を丁重に誘いこむという、策略的で芸がこまかい大奥の局が案出した漁法のようなものであった。所変れば品変るであるが、いかにも松島という大奥の局や女中のピクニックむきの風光に似合いの漁法であった。
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石巻、牡鹿半島、金華山。いかにも北の国に来たれりという思いですね。ところが、妙なものですね。北は北なりに、南国があるのですよ。石巻から出発して渡波《ワタノハ》港、ここが牡鹿半島の南側のノドクビに当るところだ。自動車は山径《やまみち》を湾にそうてグルグルと迂回しつつ半島を南下する。例の支倉出発の月の浦、荻の浜、大原、白浜と南下して、ついに南端の町、鮎川に至るまで、ちょうど伊豆半島を南下すると同じように、行くにしたがって明るく、ユーカリ、楠、蘇鉄、浜木綿、ビンロー樹などの南国的な植物地帯へ次第に踏みこんで行きつつあるような気持にさせられる。むろん南国的な植物はこの半島にはないけれども、南へ南へと南下しつつある明るさは同じものだし、北は北なりに、北の浜木綿や北のビンロー樹があるような気がするのであった。
牡鹿半島というところは名の通り野性の鹿が今もすむところだが、山は高いところでも四百五十メートルぐらいの変テツもない山林つづき。ところが、半島全体が何という岩だか知らないがまるで一ツの石でできたようなところだそうだね。仙台から塩竈、石の巻、塩竈神社の例の石段でも、石の巻の民家の勝手口のドブ石でも、みんな牡鹿半島から切りだした石なんだね。そして全国的にザラに見かけることができるような石だね。というのは、墓の石だの、石碑の石の何分の一かがこの石ではないかといかにもそう思いつくような石なのだ。あるいはスズリの石にも似たのがあるような気がする。青みをおびたやわらかそうな石で、見るからに石碑にして字をほりこむに手ごろのような石なのである。この地方へくると、板の代りにも石を使い、建築にも道路にも石という石がみんな牡鹿半島の石さ。神戸のミカゲへ行くと、塀といわず道といわ
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