知らねばならぬ。当り前じゃないか。
 とにかく仙台が強風季節の火事にこりて、大通りを新設したのは利巧なことさ。この町の気風にしては出来すぎたことだね。なんしろ政宗以来の水害地帯がいまだに年々変りなく水害の起るがままという県だからね。
 しかし、物と人の単なる集散地には独創だの計画だのというものは、あんまり現れることがないのだろう。この都市の業態生態がそれを必要としないのだもの。人の目の色を忖度《そんたく》して稼ぐような変な鋭さだけ発達し、その変な鋭さをこの町では利巧と云うような悲しい趣きがありはしないかね。田舎豪傑の政宗も根はそれだけの人であったのさ。そして変な鋭さがいつもヤブニラミで的を外れていたのさ。

          ★

 この県には三陸の漁場をひかえて、塩竈、石巻という二ツの市、気仙沼《ケセンヌマ》、女川《オナガワ》、渡波《ワタノハ》などという漁港がある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の尖端に鮎川という鯨専門の漁港がある。
 石巻は北上川の河口が港だから、せいぜい五百トンぐらい。大きな船ははいれない。塩竈は天然の良港で、前面には一群の松島が天然の防波堤の役を果しているし、水深も深く、目下一万トンの船を横づけにする岸壁を工事中である。したがって、ここの港は魚を水揚げするよりも、一般の港の荷役に利用され、石炭が荷役の大半、魚の水揚げは全体の数パーセントという有様だ。けれども、水揚げする魚の量は、魚だけが専門の石巻よりも多いのである。つまり塩竈港はそれほど大きな港なのである。私は塩竈がそんな良港だとは知らなかったので、きて見ておどろきましたよ。
 それでいて魚だけで持っている石巻の方が人口が一万ほど多く五万五千ぐらい、塩竈が四万五千ぐらいだそうだ。この現象は二ツの漁港の扱う漁船の相違に、よるのだね。三陸は日本近海最大の漁場であるから、東海の漁船も、紀州の漁船も、四国の漁船も集ってくる。塩竈へ入港して魚を水揚げする漁船の七割はよそから来た船なのだ。したがって、この魚は塩竈を素通りして、すぐ汽車で東京へ大阪へと運び去られる。水揚げの量は多くても、この市で加工されないから、市民に労働を与えてうるおすことが少いのである。
 これに反して石巻へ入港するのは大部分が石巻の漁船だから、揚った魚はそッくりその市で加工する。そこで全市が殆ど魚の大漁不漁によって生活を左右され
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