成程、茸とりの名人とよばれる人も、やつてくる。六十ぐらゐ。朴訥な好々爺である。俺の茸は大丈夫だと自ら太鼓判を押してゐる。それゆゑ私も幾度となく茸に箸をふれようとしたが、植物辞典にふれないうちは安心ならぬといふ考へで、この恐怖を冒してまで、食慾に溺れる勇気がなかつたのである。
 ところが、現に私達が泊つてゐるうちに、この名人が、自分の茸にあたつて、往生を遂げてしまつたのである。
 それとなく臨終のさまを訊ねてみると、名人は必ずしも後悔してはゐなかつたといふ話であつた。
 かういふことも有るかも知れぬといふことを思ひ当つた様子で、素直な往生であつたといふ。さうして、この部落では、その翌日にもう人々が茸を食べてゐたのであつた。
 つまり、この村には、ラムネ氏がゐなかつた。絢爛にして強壮な思索の持主がゐなかつたのだ。名人は、たゞ徒らに、静かな往生を遂げてしまつた。然し乍ら、ラムネ氏は必ずしも常に一人とは限らない。かういふ暗黒な長い時代にわたつて、何人もの血と血のつながりの中に、やうやく一人のラムネ氏がひそみ、さうして、常にひそんでゐるのかも知れぬ。たゞ、確実に言へることは、私のやうに恐れて食は
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