も坂口安吾といふ呑んだくれだけは社の風紀に関するといつて入れてくれないから仕方がない。尤も私は時々この会社へ宿酔《ふつかよい》をさましに遊びに行つて社長の空椅子にふんぞりかへつて昼寝するものだから、支店長が怖れをなして入社させてくれないので、尤も入社しなくて良かつた。私は日本映画の嘱託になつたが、こゝは一週間に一度、それも十五分だけ顔をだすと、月給をくれるからで、石炭屋はかうはいかないだらう。
 十五分といふのは専務と話をする時間だ。外に仕事はない。そして、その週のニュースと文化映画と、それからよその会社や外国の映画を地階の試写室で見せてもらつて帰つてくるので、そのうちに専務の方もうるさがつて十五分の映画芸術論もやらなくてもいゝやうな顔付だから、これ幸ひと十五分の出勤も省略して、月給日だけ出掛けて行く。尤も、家にゐて脚本を書いた。三ツ書いたが、一つも映画にならなかつた。
 昭和十九年になつた。ラバウルから突如としてサイパンがやられる。私は映画屋のともかく片隅の一員で試写室でニュース映画から、専務の部屋で専務から、いくらか時代の空気を見聞して、それだけが私の時代との接触で、あとの一週間の
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