そのとき、まだいくらか明るさが残り、西日の沈む彼方にやがて闇へ溶けようとする佐渡が見えた。私が村山臥龍先生に就いて熱弁を弄したのは云ふまでもない。檀一雄が感動したのは論外で、彼は仲秋名月を松島まで出かけて眺めるやうな奇妙に古風な男だから、かういふ千古の美談佳話には全くもろいのである。私が酔つ払つて海辺へ小用に立つと、茶屋の二階の檀一雄が慌てゝ身をのりだして逸《はや》まるべからずと叫んだが、彼は私が酔つたまぎれにザンブと海へとびこみ佐渡へ向つてやがて日本海のモクズと消えると思つたのである。
大観堂も遊びにきた。別に原稿の催促はせず、いや、したかな、彼は諦めてゐるのである、何しろ天地は戦争だ、一晩酔つ払つて帰つて行つた。私は荒天の日本海で、泳ぎばかりではない、駈けたり、跳んだり、逃げる用意も、穴ボコへ誰よりも早くもぐりこむ用意もとゝのへてゐた。
昭和十八年の秋から徴用といふ奴が徹底的に始まつてきた。大井広介といふ男が本名は麻生某といつて、彼は元来九州の石炭屋の一族だ。こゝなら徴用が逃れるといふので、井上友一郎が先づ社員となつて九州へ、つゞいて平野謙、荒正人と俄か石炭社員ができたが、どう
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