中十二哩も汽船に乗つて、それで尚、十六時間半かゝつているのである。そして彼の曰く、新潟佐渡間は潮流が意外に激しく思ふやうに進まなかつたのだ、と。
私は村山臥龍先生を尊敬してゐるのである。先生はモータアボートどころか小舟のお供もつれてをらぬので、いつたん佐渡まで泳ぎつき、又、泳いで戻らうといふのが愉快ぢやないか。我々にとつて水泳は遊びだけれども、水泳家の先生には職業であり、わが魂魄を打ちこみさゝげた術であり、だから私は、先生が佐渡から戻る途中で永遠に消息を絶つたといふのが、なんとも朗かで、大好きなのだ。たぶん夜であつたらう。私はさう思ふ。夜にかゝらずに泳ぐことはできない。たぶん鱶《ふか》に襲はれたのだらう、と私は思ふ。悔ゆることはない。私は新潟の浜辺から佐渡を眺めて先生のことを思ふのが愉しい。
私が新潟にゐる期間、もう秋になつてから、檀一雄がやつてきた。ちやうど大詔奉戴日《たいしようほうたいび》といふ禁酒の日だから仕方がない、こゝならいつでも酒があるといふ親類の病院で酒を強奪して、海へ行き、無理矢理浜の茶屋へあがつて酒は悪いがブドウ酒ならよからうとブドウ酒もだしてもらつて酒をのんだ。
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