を通りすぎると、あとは冬でも同じことで、刺す痛たさも無感覚になる。夏だとこの無感覚がむしろ不愉快で、わざ/\波を起して冷めたさを感じようとするのだが、冬はさすがにその勇気はない。それでもいくらか手をうごかして水を掻いて、痛む鋭さをヂッとこらへて愉快を覚えるぐらゐの多少のゆとりはあるので、もうちよつと、もうちよつとの間と歯をくひしばつて腹の五臓の底の底まで冷えてくる鋭さを五分間ぐらゐ我慢してゐる。それはたしかに慣れると爽快なものなのだ。
 そして私はいつもの通り悠々と立上つて湯ぶねをまたいで出たのだが、そのとき少しふら/\した。つゞいて急にぼうとして何も分らなくなつてしまつた。私はその瞬間に心臓麻痺かな、しまつた、愈々成仏かと考へた。そのくせ、とつさに生きることを考へてゐたので、ヘタに倒れずに膝を折つて坐るやうに倒れることを考へた。然し、その瞬間に意識がなかつたので、私は膝の屈折に知覚もなく、したがつて、その屈折のために力を加へることもできなかつた。だが、私は、やつぱり膝を屈折して倒れることに成功してゐたので、私が意識を恢復したときには、坐つた姿勢で前へ俯伏してゐた。怪我はしてゐなかつた
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