た。十月になつた。外気は寒くなつても井戸水の温度は同じことで、もぐつてしまへば、夏の水浴と同じことだ。そのうちに慾がでて、これは面白い、いつまで水風呂にはいれるか、ひとつ冬までつゞけてやらうなぞと考へて、うまくいつたら厳寒をくゞりぬけて来年の夏まで持つて行かうといふ、全く私はヒマ人なので、さうだらう、小さい女の子でも働いてゐるのに、私ばかりは月給日にでかけるだけの勤め人で、然し、あいにく、酒をのむところも、面白い遊び場もなくなつたのだから、ヒマにまかせてつまらぬことを考へる。さすがに一人で考へてゐてもきまりが悪いから、かうして水風呂で身体をきたへておくと、いざとなつて山野に野宿がつゞいても耐久力があると考へた。これは屁理窟ではない。実際私はこの水風呂以来、厳寒に薄着をしても風をひかなくなつたので、今もつてその耐久力はつゞいてゐる。
 私は今も歴々《ありあり》と覚えてゐる。私は十二月六日まで水風呂へはいつた。もう東京の街にはサイパンからのB29[#「29」は縦中横]が爆弾を落しはじめてゐたのである。寒い朝だつた。その前日からくみこんである水風呂へ思ひきつてズボリともぐる。この苦しさの一瞬
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