術使ひの足跡を正史にとゞめてゐる者は金鍔次兵衛の外にはない。
 ポルトガルの商船はまた長崎に入港したが、乗員達はもはや上陸を許されず、早晩貿易禁止は必然で、日本潜入の神父も後を絶たうとし、信徒と教団の連絡は絶望的になつてゐた。潜入の神父はあらかた刑死し、フェレイラは棄教、残存するのは金鍔次兵衛ぐらゐのもので、あとは消息も分らない。
 その年の長崎及びその近郊に行はれた降誕祭《ナタル》のミサは無茶苦茶だつた。信徒達は殺気立ち、捕吏が来たら捕へて殺してしまふ覚悟で、各々の秘密集会所で祈り泣き歌ひ、牛小屋を清めて水をはり、彼らはもう死の狂躁と遊んでゐた。それは神父《パードレ》金鍔次兵衛の指図であり、絶望と破壊の遊戯は彼の姿の影であつた。逃亡潜伏に熟達した次兵衛はとにかく、信徒達の狂躁が捕吏に分らぬ筈はない。彼によつて修道服を受けた数人を始め七百名余りの信徒達が一網打尽となり、刑場に送られて焼き殺されてしまつたが、次兵衛のみは風であつた。彼は天草へ舞ひ戻り、鳥銃をぶらさげて冬山の雑木林をぶら/\歩いてゐたのである。
 あの男は平和な人々を破壊と死滅へ追ひ立てる気だ、と渡辺小左衛門は悟つた。彼は
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