天草最大の富豪であり、和漢を始め洋学にも通じたディレッタントで引込思案の男であつたが、レシイナに向けられた陰惨な眼を思ひだすと渾身の勇気がわいてきた。それは彼が安穏を欲するからであつたけれども、又、レシイナを熱愛してゐたせゐだつた。あの陰惨な魂の破壊の影が自分とレシイナの平和にまで及ぶだらうと考へると、曾《かつ》ては最大の敬意を以て迎へた神父であつたけれども、秘密に殺したくなつてきた。気違ひめ。俺は気違ひは嫌ひなのだ。そして天草の人間は、今はもう、一人残らずみんな気違ひにならうとしてゐる。あゝレシイナお前まで、お前はまさか弟の四郎が天人だと思ふ筈はないだらう。いゝえ、とレシイナは答へた。気の毒な農民達は畑の物を根こそぎ税に納めねばならず、食べる物もありませぬ。ゼスヽ様の御名を唱へても殺されます。世の中がこのまゝのやうで宜しい筈はございませぬ。あゝ、小左衛門は絶望した。だが、何といふ女であらうか。彼は異様に新鮮な色情すらも見たのであつた。全てが分らなくなつてきた。神とは何者であるか。四郎は何者であるか。そしてレシイナよ、お前まで俺の分らぬところへ飛び立つてしまひさうな気がする。
 金鍔次
前へ 次へ
全23ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング