上六十歳まで領内の男子総動員、唐津藩や長崎奉行、佐賀藩などから応援をもとめて総勢は数万に達し、全員を以て山全体をとりまいて、一人一尺の間隔で山林から海岸まで一足づゝ追ひつめて行つた。夜になると各自立止つた地点を動かず篝《かがり》をたいて不寝番を立て、三十五日を費して、遂に海まで突きぬけた。海上には数千の小舟を敷きつめて待ちぶせてゐたから漏れる隙間はなかつた筈だが、次兵衛の姿はなかつた。彼はすでに江戸へ逐電、信徒の旗本の手引で江戸城の大奥へまで乗込んで小姓の間を伝道して歩いてゐたが、江戸の生活が約二年、露顕の気配が近づくと風の如くに飄然長崎へ舞ひ戻つてきた。
 彼は危急の迫るたびに刀の鍔に手を当てゝ祈念するので、刀の鍔に切支丹妖術の鍵が秘められてゐるのだらうと取沙汰せられて、金鍔次兵衛(又は次太夫)の渾名となつたが、多分彼の刀の鍔に十字架がはめこまれてゐたのであらうと今日想像せられてゐる。刀の鍔に十字架を用ひた例は切支丹遺物の中にも現存してゐる。カトリック教徒が胸に切る十字は、あれが多分後世忍術使ひの真言九字の原形であつたに相違ない。切支丹と言へばバテレンの妖術使ひと一口に言ふが、真に妖
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