表に十字架が描かれ、裏には天の子四郎と書かれてゐた。
小左衛門が一番はつきりと忘れることが出来ないのは、この男が彼の地所を借りるために始めて訪ねてきた時のことで、そのとき男は呆れるぐらゐ陽気であつた。開放的で豪快で何一つ心に隠しておくことの出来ないお喋りといふ風であり、彼の経てきた色々の不思議なこと愉快なことを語つてきかせるのであるが、たつた一度ジロリとレシイナを見た男の眼を小左衛門は忘れることが出来ないのだ。レシイナは彼の妻でありヒエロニモ四郎の姉であつた。
その瞬時の眼は最も陰惨な心の窓だ。尊貴なる福音の使者たる人にこのやうな眼が有りうるものかと小左衛門は我目を疑る始末であつたが、思へば男の魂は二元で、この陰惨な眼が彼の偽らぬ本性である。この男は悪魔なのだ。彼は神の福音を説いてゐる。けれども、彼の魂は人間の沈み得るどん底に落ち、石よりも重く沈黙し、あらゆる物の破壊を待つてゐるだけだ。レシイナを見たこの男の眼は、幸福又は平和に対する敵意であつた。野卑や好色の翳がないのは、その魂が破壊といふ最後の崖しか見つめることがなくなつてゐる証拠であつた。
男の名は金鍔《きんつば》次兵衛の通
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