が、思ひ出されてゐる夢であるやうな遠さに、いつも感じつづけてゐた。私は、その上夢を、その風景を、あかずいとほしんだ。風景である私は、風景であるし彼女を、私の心にならべることをむしろ好むのかも知れなかつた。そして風景である私は、空気のやうに街を流れた。街を燕が、そして私を、横切つていつた。
街の埃と、街の騒音が、深く私に泌みてゐた。ただ孤り、しづかな杜に潜む時でも、皮膚に泌みた街の騒音が、私の身体をとりかこんでゐた。砂山で、高くはれた夜の下にも、皮膚にうごめく雑踏の跫音《あしおと》をきいた。それは夜空へ散つていつた。そして、発散する騒音と入れ換りに、夜の静寂が、又ある時は磯の音が、さえざえと私に泌みた。何物か、私の中に澄み切らうとする気配がしてゐた。夜空が、すべて宇宙が、甘い安心を私に与へた。
或る夜は又、この町に一つの、天主教寺院へ、雑踏の垢を棄てにいつた。僧院の闇に、私の幼年のワルツがきこえた。影の中に影が、疑惑の波が、半ばねぶたげな夢を落した。ポプラアの強い香が目にしみた。さわがしく蛙声《あせい》がわいた。神父はドイツの人だつた。黒い法衣と、髭のあるその顔を、私は覚えてゐた。そ
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