ふ。仕方がないからカバンをぶらさげて家へ帰り、それからの一年間は完全にその時間には出なかつた。答案も白紙をだした。私は落第を覚悟してをり、満州へ行つて馬賊にでもならうと考へて、ひそかに旅費の調達などをしてゐたのである。ところが私は及第した。のみならず、二学期は丁だつたのに、三学期の綜合点が甲になつてをり、私は三学期の白紙の答案に百五十点ぐらゐ貰つたことになつてゐた。この先生は五十ぐらゐの痩せて見るからに病弱らしい顔色の悪い先生で、いつも私の空席をチラと見て、又休んだか、と呟いてゐたさうである。私はどうにも切なくて、思ひがけなく及第したが、先生の顔を見る勇気がないので新学期から学校を休んでゐると、友達が来て、用器画の先生は学校をやめたといふことを伝へてくれた。それ以来、私はいくらか学校をサボらぬやうになつたが、それは改心したせゐではなく、その時以来学校中の人気者になつて、ヒゲの生えたオヂサン連だのヨタモノ連に馬鹿親切に厚遇されるやうになつたから、いくらか学校が面白くなつたせゐである。そこで私は陸上競技の御大などに祭りあげられて羽振りをきかしたものだが、何しろこの中学は人力車夫と新聞配達が
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