もうよと云つて私をしつこく誘ふけれども私はいつかなウンとは言はないので、私は今ゐる場所を一歩も動かず酒を飲む主義で、風流を解する精神は微塵といへどもない。ともかくかういふ人物だから、こと酒に関してはまことにたのもしい男であり、三時間辛棒する覚悟さへあれば、小田原全市に酒がなくとも隣りの村から酒を持つてきてくれた。必ず持つてきた。然し、一升たのんでも、五合しかなかつたといふやうなことが、さすがのこの男でも次第にさうなつてきたのであつた。
 そのうち、私が上京して留守のうちに早川が洪水で家は泥水にうづまり、そのまゝ私は東京に住まざるを得なくなつてしまつたのである。
 太平洋戦争が始まつたのはこの年の冬だ。寒くなつたのでガランドウの所へあづけてきたドテラをとりに小田原へ行き、翌朝目をさまして戦争が始まつてゐた顛末はすでに述べた通りであるが、私の魂は曠野であり、風は吹き荒れ、日は常に落ちて闇は深く、このやうな私にとつて、戦争が何物であらうか。戦争は私自体の姿であり、その外の何物でもなかつたのだ。
 私は然し私自身死を覚悟した十二月八日を思ひだす。私は常に気が早い。その日私は日本の滅亡を信じ、私
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