のんでゐるのに、見も知らぬ遠い方から近づいてきて文学の話などやりだすから怒るので、文学は話ではないよ。それは私自身で、私がそれを表現するか、さもなければゼロだ。私が偉い人で、自信のある人間なら、怒らずにゐられる。すでに一年、一行の文字も書くことができず、川の底の屍体をひきあげて町の鼻たれ子供にほめられてもてはやされて、わが身の馬鹿さを怒らずにゐられるものか。酒をのむたびに不機嫌になり、怒るやうになつたのは京都からであつた。それは尚数年つゞき、太平洋戦争になつてから、だんだん怒らなくなり、否、怒ることすらもできなくなり、その代り、エロになつた。酔払ふと日本一の助平になるのであつた。
 取手の冬は寒かつた。枕もとのフラスコの水が凍り、朝方はインクが凍つた。朝方はインクが凍るなどといふと如何にもよもすがら仕事をしてゐるやうであるが、たま/\何か酒手のための雑文を書いて徹夜ぐらゐはしたこともあつたであらう。仕事らしい仕事はたゞの一行もしてをらず、してをらずではなくて、するだけの力、実力といふものがないのであつた。三文々士は怠け者ではない。何を書いても本当の文字が書けないから、筆を投げだし、虚空
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