が子供の如くに愛してゐたこと(それは本当だが)を吹聴するから、町の有志が心配して利根川の下流へステッキ捜索の立札をたてゝくれた始末であつた。
 わが魂をさがしあぐね、ひねもす机の紙を睨んで、空々漠々、虚しく捉へがたい心の影を追ひちらしてゐる私にとつて、人の屍体をひきあげて人気者になり、残つた屍体をひきあげかねて逃げだしてきた馬鹿らしさ、なさけなさ。私はあの小さな田舎町を思ひだすことが実際苦痛だ。私はあの町を立去つて以来、再び訪れたこともなく、思ひだすことも悲しい。虚しさとは、そして、その虚しさの愚かさのシムボル自体があの英雄で、この町に何とか稔といふ私よりも年長の文学青年がゐて、私の例の屍体引揚げ作業を見てゐて葉書をよこして遊びにくるといふから、私は胸のつぶれる苦しさ憎さで、あなたはイソップ物語を知つてゐますか、子供が石を投げて遊んでゐますが池の中の蛙には命の問題です、と返事を書いた。ある日トンパチ屋で会ふと向うから話しかけて文学の話を始めたから、バカヤロー、私は怒鳴つて帰つてきた。私はほんとに我がまゝだ。彼はちつとも悪くはない。たゞ私は、私自身が考へる苦しさのために、考へる代りに酒を
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