る。その半米の視界も土の煙りが濛々とうづまいて極めてかすかな明るさでしかないのである。突然私の目の前へニュウと腕が突きでゝきた。それは川底の流れにユラ/\ゆれ、私の鼻の先へ私をまねいてゐるやうにユラ/\と延びてきたのである。川底の暗さのために、腕だけしか見えなかつたのは、まだしも私の幸せであつたらう。それは子供の片腕だつた。私はそれを掴んで浮き上つたのだが、水の中の子供の身体などは殆ど重量の手応へがないもので、ゴボウを抜くといふその手応へを私は知らないが、あんまり軽くヒョイと上つてきたのでびつくりした程だつた。私が首をだす。つづいて死体の腕をグイとひきあげると、アヽ、といふ何百人の溜息が一度に水面を渡つてきた。だが私は、再び水底へもぐる勇気はなかつた。私の最初にひきあげたのが親父の方であればまだ良かつたかも知れぬ。なぜなら子供の死体の方はそれほどの凄味も想像されぬからで、親父の死体が今もなほ渦まく濛気の厚い流れの底にあり、今度はユラ/\した手でなしに、その顔がニューと私の目の前へ突きでてくる時のことを想像すると、とても再びもぐる勇気がなかつた。
 伊勢甚の息子はひどくカンのいゝ青年で、
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