てゐるのだ。私が中学一年の時、そのころ高師の生徒で佐渡出身の斎藤兼吉といふ人がオリムピックに出場して、片抜手で自由型を泳いで、カワナモクのクロールに惨敗して、クロールを習ひ覚えて帰つてきた。この人を例年のコーチにしてゐた新潟中学ではその年すでに日本で最初のクロールを覚えたわけで、私はつまりカワナモク型の最も古風素朴なクロールを身につけたわけである。然し私はそれよりも潜水の名手なので、少年時代は五〇米プールを悠々ともぐつたものである。尤もあるとき腕にまかせて海の底へもぐりこみ、突然グァンと水圧で耳をやられ、幸ひ鼓膜は破れなかつたが、危く気を失ふところで死にかけたことがあつた。
 かういふ私であるから取手唯一の河童漁師などがヘッピリ腰でもぐつてゐるのはをかしくて仕方がない。私はオッチョコチョイだから、ざんぶと飛びこみ、川の底をもぐり廻つて、忽ち死体をつかみあげた。かういふと話は簡単だが、事実話は簡単なのだが、私の心にだけはさうでないことが起つたのである。みなさんは先づ川の底といふものが海の底のやうに透明でなく、土の煙りが濛々と立ち上り半米ぐらいしか視界がきかない暗さであることを知る必要があ
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