、私は然し、着物がないので、ドテラを着て東京へつき、汽車の中では刑事に調べられてウンザリしたものだ。東京で一年間、私は威張りかへつた顔をしてゐたが、自信はなかつた。そして一年たち、今年こそ本当にギリ/\の作品を書かなければ私はもう生きてゐない方がいゝのだと考へて、利根川べりの取手といふ町へ行つた。私の見知らぬ町であり、何のゆかりもない町だ。竹村書房が探してくれたのだ。彼は魚釣りが好きであり、こゝは鮒釣りの著名な足場のひとつださうで、彼の行きつけの旅館があり、そこの世話で、取手病院といふところの、そこはもう主人が死んで病院ではなくなつてゐる離れの家へ住んだのである。
京都ではともかく満々たる自信をもつて乗りこむことができたので、そのときは書くべき題材に心当りと自信があつたからであるが、取手では、何かギリ/\の仕事をしなければ死んだ方がいゝのだ、といふ突き放された決意の外には心に充ち溢れる何物もなかつたのである。
何よりも感情が喪失してゐた。それは芸ごとにたづさはる人でなければ多分見当のつかないことで、そして芸ごとも、本当に自信を失つて自分を見失つた馬鹿者でないと、この砂漠の無限の砂の
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